新劇通信簿

2015年の例会(私のコメント付き)


2月4月6月7月9月10月12月

12月

題名・・・「パパのデモクラシー」
作者・・・永井愛
演出・・・鈴木裕美
劇団・・・東京ヴォードヴィルショー
男性・とてもよかった=25%・よかった=51%・まあまあ=24%・よくなかった=0%
女性・とてもよかった=25%・よかった=54%・まあまあ=20%・よくなかった=1%

 東京郊外にある神社を舞台に終戦後1946年から、この芝居は始まります。 神主の木内忠宣、長男の嫁・ふゆ、次男宣清、居候で元特高警察官の本橋がこの神社に住んでいました。そこに民主主義活動家の緑川寿美代が戦災で住居を失った7人を一緒に住まわせてくれと押し付けてきます。

 こうして静かだった神社も、戦後の混乱に巻き込まれていくというストーリーでした。

 緑川が連れてきた人たちの中に東宝争議で戦っている労働者がいたので、今まで何の疑問もなく家長である
神主の言う通りに暮らしてきた木内一家内にも労働運動の波が押し寄せて混乱に拍車がかかっていきます。

 神社と神主で戦前の日本を象徴し、そこに戦争で負けて新しい価値観が流れ込んでくる様子をコメディタッチで描いた作品だったのですが、
惜しむらくは9月に上演された「春、忍び難きを」とシチュエーションがかぶってしまったので、新鮮味が薄れてしまった感がありました。
 「春、忍び難きを」は長野県で農業を営んでこられた方の日記を土台にして作られた作品だったので、地に足が付いたものでしたが、
それに比較される「パパのデモクラシー」はどことなく浮遊感が漂っていたような気がしました。労演会員によるアンケート結果も
芳しくなかったのは私と同じような感じを抱いた方も多かったということでしょうか。

 終戦70年という節目で、作品を提案してくる劇団と選ぶ演劇鑑賞団体、作品の内容に予算や日程や会員の要望や、
その辺りのすり合わせがうまくいかないともったいないことになるという代表例になってしまったかもしれません。
 
私の評価・・・まあまあ

10月

題名・・・「蟹工船」
作者・・・小林多喜二
脚色・・・大垣肇
演出・・・印南貞人・川池丈司
劇団・・・東京芸術座
男性・とてもよかった=43%・よかった=41%・まあまあ=15%・よくなかった=1%
女性・とてもよかった=43%・よかった=41%・まあまあ=7%・よくなかった=1%


 機関誌によると2008年ごろから沸き起こった「蟹工船」ブーム。ワーキングプアやブラック企業が表面化し、若者たちが戦前のこの作品に注目したそうです。映画化もされ、今回労演でも上演されました。流行してから8年かかってしまいましたが。

 蟹工船は収穫した蟹を缶詰に加工できる船。この船に乗り込んで仕事をするために港に男たちが集まる。仕事は厳しいが、前受け金がもらえるので家族が病気で背負った借金や大学の学費を稼ぐためにやってきていた。戦前なので14歳の少年も働ければ乗り込むことができた。

 蟹工船が活動するのはソ連との国境線近くの漁場で、日本の船を守るために日本海軍も出動していた。大しけの中漁場に向かう川崎船
(蟹工船に付属している発動機付小型漁船で底刺網で蟹を取る)が流されてしまう。この蟹工船の監督は
別名鬼浅と呼ばれる男で、手下たちを使って暴力で労働者を管理していた。

 14歳の男の子が仕事の辛さに船の陰に隠れてしまう。しかし空腹に耐えかねて出てくるのだが、それを見つけた鬼浅に
半殺しになるぐらい殴打され、マストに吊られて見せしめにされてしまう。それを初めとして、ちょっとした失敗でも棒で
殴られたり蹴られたりするのでほとんどの労働者は生傷が絶えない状態だった。

 川崎船はソ連に流れ着き船員たちは助けられて、蟹工船に戻ってきた。鬼浅たちは船員がソ連で左翼思想に
かぶれたのではないかと疑いの目を向ける。

 川崎船が流された影響か、本社からノルマが達成されていない電信を受け取った鬼浅は労働者たちへの暴力が増々厳しくなっていく。
 漁獲量が振るわないので本社から重役が鬼浅たちの働きを見るためにやってくる。
重役が来たことで暴力が収まるかと期待していた労働者たちだったが、期待は裏切られる。
 鬼浅たちに反抗的な態度を取る労働者を川崎船に乗せるらしいと聞きつけた労働者たちはストを計画する。 しかし会社側は日本海軍に連絡し、
ストの首謀者たちを引き渡す。今まで自分たちの味方だと思っていた日本海軍が会社側であったことに労働者たちは失望する。

 ただ鬼浅も成績不良に焦って、他船の網を勝手に引き上げたことがばれて、重役から叱責されて監督の職を解かれてしまう。
 首謀者たちが軍艦に移されて日本に戻って行く時、労働者たちは腹の底から声を張り上げてソーラン節を歌い仲間との別れを惜しむ。

漁場に向かう間、舞台の背景には高波が動きそれに合わせるように役者さんたちが右に左に揺れるの見ていると、
こちらは固定された座席に座っているにもかかわらず、何か揺れている船に乗っている気分になっていました。
普通に演技をする上に船に揺られてるように見せなければならないのは大変だなと思いました。
 そしてラストのソーラン節、労働歌を知らなくても北海道民ならば誰もが知っている一つになれる曲として全員が歌うんですが、
毎公演この調子で気合いを入れて歌っておられるのかと思うと、こんな厳しい芝居はそうそうないだろうと感じました。

 労働者たちが会社の重役や鬼浅に提出した要望書に書かれていたことは、現在なら労働者にとって当たり前の職場環境の改善だったのに、
それさえも共産主義にかぶれたとみなされていたのかと愕然としました。前金さえ渡せば、賃金さえ払えばこっちの言う通りにさせることができる。
労働者の方も負い目ができる。そこに付け込んでいたように思いました。
 現在でも一部の経営者にそんな考えを持つ者がいて、ブラックとは言えないまでもしわ寄せを受けている労働者はたくさんいると思います。
それでも戦前に比べて労働者が訴え相談できる場所がある現在はありがたいよなと、この芝居を見ながら思いました。
私の評価・・・よかった

9月

題名・・・「春、忍び難きを」
作者・・・斎藤憐
演出・・・佐藤信・眞鍋卓嗣
劇団・・・俳優座
男性・とてもよかった=32%・よかった=55%・まあまあ=12%・よくなかった=1%
女性・とてもよかった=43%・よかった=46%・まあまあ=11%・よくなかった=0%

 終戦70年にちなむ作品。

 長野県松本近郊の大庄屋で村長もしている望月多聞一家の戦後を描いた作品でした。 多聞には3人息子がおり、長男は朝鮮で材木会社を経営、
次男と三男は出征していた。多聞は望月家の後継者として次男を指名していた。
望月家には多聞のほかに、妻のサヨ、次男の嫁・よし江、多聞の姉・トメ、長女の夫・葛西、作男の朴が暮らしていた。

 農家で食料があるということから、大学教授の職を失った長女の夫・葛西が身を寄せていた。そこに三男や長男一家が帰ってくる。
長女は子供たちの学校の都合もあるということで戦争が終わってすぐに東京に戻っていた。
長男一家も戻ってきた当時は親に遠慮して農業の手伝いなどもしていたが、東京が落ち着いてくると東京に行ってしまう。

 多聞が一番帰ってきてほしかった次男に戦死の公報が入ってくる。そうなると次男の嫁の立場があやふやになってくる。望月家としては嫁は働き手の
一人として頼りにしているので出ていかれては困ってしまうと思っている。三男は嫁のことを憎からず思っており、自分と一緒に駆け落ちしようと持ちかける。
しかしよし江は三男に対して最終的には心を許すことができず、駆け落ちしない。

 そんな時、次男の戦友だったという男が訪ねてくる。この男は望月家に入り込み農作業の手伝いなどを始め、よし江と仲良くなっていく。
いずれはよし江と結婚しようかという雰囲気になってきた矢先、実は戦友は全くの偽者だと分かる。よし江は戦死公報を見ていたので、
次男が亡くなった場所と戦友が話していた場所が違っていたことは分かっており薄々偽者であると気づいていても気づかない振りをしていた。

 やがて一家の主多聞は脳卒中で倒れる。戦前は望月家に従っていた小作たちも戦後はGHQの
農地改革の方針や労働者運動の影響を受けて、何かに付けて多聞に反するようになり始める。

 今まで労演で拝見していた芝居は戦前を舞台にしたものが多かったので、戦中戦後の長野の農家がどんなことを政府から
押し付けられてきたのか知ることができました。兵隊として徴兵されるのは赤紙と言うのは有名ですが、農耕馬を徴用するのは
青紙で手塩にかけて育ててきた馬をわずかな金額で取られていってしまうのです。
農村では兵隊として男手が取られ、農耕馬も取られてしまっていたのです。
 戦前は殖産興業で蚕のための桑畑が奨励されていたのですが、戦中には食料増産のため桑畑を潰していました。
しかし戦後は再び絹を作るための桑畑を作れと命令が下ってきます。

 戦時中東京から松代に大本営を移す計画があり、地下を掘る大工事に朝鮮人労働者が連れて来られたということもありました。
 そして戦後は満州などから引き揚げてきた開拓団を引き受けるために農耕には向かない寒冷地に入植させました。

 劇中で政府から出される色々な政策を見ていて、全く現場を知らない人間が命令を出しており、現場を知っている多聞のような人間も
実情を見てみぬふりして政府の命令通り動こうとしていたのだなと思いました。これは軍隊にも言えることだったのかなと思いました。

私の評価・・・よかった

7月

題名・・・「父と暮らせば」
作者・・・井上ひさし
演出・・・鵜山仁
劇団・・・こまつ座
男性・とてもよかった=54%・よかった=44%・まあまあ=2%・よくなかった=0%
女性・とてもよかった=47%・よかった=46%・まあまあ=6%・よくなかった=1%

 終戦後3年経った広島で一人暮らしをしている美津恵のところに、亡くなった父の亡霊が現れるようになります。
そして父と娘の会話から娘の心が段々と観客に伝わって行くという井上ひさしさんの名作。

 京都労演で拝見するのは2回目で、前回は1997年7月に上演されました。当時の配役は父親役はすまけいさん、娘役は梅沢昌代さんでした。

 約20年前の記憶と比較すると、今回の配役の父親役辻萬長さん、娘役栗田桃子さんのお二人ともが真面目。
この真面目な父親にこの真面目な娘が育ったんだろうなという印象でした。
 すまけいさんの方がもっと遊び心があったような記憶があります。最初父親が押し入れから出てきたときや、
あちこち雨漏りがしている部屋に鍋やどんぶりを並べているときの楽しそうな雰囲気。

 阪神大震災後に拝見した「はだしのゲン」の時、潰れた家の下敷きになってしまった家族を火災から助けられなかったことに、
戦時中も現在も後に残された者の心の傷は変わらないと感動しました。そして「父と暮らせば」でも父親を助けられなかったことで、
自分一人が幸せになっていいのかと苦悩する娘の心の傷に寄り添う父親の亡霊の優しさがしみました。

 たぶん戦後の節目節目に「父と暮らせば」は上演されると思うのですが、次回はどんな父娘ペアになるのかとふと思ってしまいました。
私の評価・・・よかった

6月

題名・・・「バカのカベ〜フランス風〜」
作者・・・フランシス・ヴェベール
訳・演出・・・鵜山仁
劇団・・・加藤健一事務所
男性・とてもよかった=39%・よかった=44%・まあまあ=14%・よくなかった=3%
女性・とてもよかった=48%・よかった=41%・まあまあ=11%・よくなかった=0%

 フランスで出版社を経営するピエールは毎週火曜日の夜これはと思ったバカをゲストにして
皆でからかって楽しむという会をしていました。
今宵も会合に行く為にシャワーを浴びていたところ床に落ちた石鹸を拾おうとして、ピエールはぎっくり腰になってしまいます。
妻のクリスティーヌはピエールの開く催しを軽蔑しており出かけてしまいます。腰の痛みに困っているところに今夜のゲストの
バカな男・フランソワがやって来てドタバタ喜劇が始まりました。

 フランソワに手を引っ張ってもらって歩いているときに、つまづいて倒れたピエールの腰の上にフランソワが乗ったために腰痛が
ますますひどくなってしまいます。それを申し訳なく思ったフランソワが自分にも手伝えることとして電話をかけてあげることにしたのでした。

 家出したクリスティーヌは、結婚前ライターをしていたのですが、ピエールに愛想をつかして共同執筆者だったルブランの元に
行ってしまったのではないかと邪推してルブランのところに電話をかけます。電話がかかってきたルブランが面白がって
ピエールの様子を見に来るので、混乱に拍車がかかってきます。

 ピエールとしては来てほしくない元愛人のマルレーヌが来ているときに、妻が戻ってくるのですが、マルレーヌの様子にあきれ返って
再び家を出てしまいます。自分が妻の浮気を疑っているのに、反対に妻から自分の浮気を疑われてしまうのですから、
泣き面に蜂となってしまいます。

 再びいなくなった妻を探すために、フランソワが紹介してくれた男がやってきます。この男、大のサッカー好きなのですが、
実は脱税を見抜くスペシャリストでもあったのでピエールは大慌てすることに。

 この芝居のもう一つの主役は電話です。この電話はスピーカー機能しかありません。そのため電話番号帳をめくって電話番号を調べて
電話をかけなければなりません。フランソワがピエールに代わって電話を掛けるのですが、1行間違えてピエールの元愛人のところに電話を掛けてしまったりするのです、妻も見る電話番号帳に元愛人の電話番号を書いておくというのもどうかと思ってしまいましたが。

 現在は携帯電話・スマホが主流になっていますし、固定電話にしても電話機自体に電話番号が登録できるようになって何年経つのか、
なので電話のかけ間違いも昔とは違ってきていると思います。黒電話時代を知ってる人にはこの間違い電話のドタバタが理解できるのですが、若い人たちにはなぜ電話番号帳を見ないと電話することができないのか疑問を持たれてしまうのではないでしょうか。

 日本人にはもう一つ理解しにくいかもしれないフランスのセレブと労働者の階級格差もこの芝居の底流に流れていると思いました。
なのでピエールがなぜフランソワを招待したのかが分かった時、寂しそうなフランソワの表情にセレブからの招待に浮かれていたけれど、やはりセレブとは住む世界が違うと思ったように見えました。

 芝居が終わってカーテンコールの時、ピエール役の風間杜夫さんが腰を伸ばしてにこやかに立っておられる姿にちょっとびっくりして
しまいました。2時間近く腰を曲げて痛がっている姿を見続けていたので、私はすっかり風間さんは腰が痛いのだと
思い込んでしまっていました。人間、思い込みはこうやって生まれるのかもしれません。
私の評価・・・よかった

4月

題名・・・「親の顔が見たい」
作者・・・畑澤聖悟
演出・・・黒岩亮
劇団・・・昴
男性・とてもよかった=31%・よかった=52%・まあまあ=17%・よくなかった=0%
女性・とてもよかった=26%・よかった=55%・まあまあ=17%・よくなかった=2%

 私立名門女子中学校の2年生の早朝の教室で一人の生徒が自殺する。
その後学校に亡くなった生徒からの手紙が届き、そこに数人の生徒の名前が書かれていた。夕方、生徒たちの保護者が学校に集められる。

 ここから舞台は始まりました。保護者たちは自分の子供のことが心配なのは勿論ですが、この事件によって自分の立場が危うくなる
ことにも敏感になっていきます。亡くなった生徒は母子家庭で母親はパートの仕事に行っていることから、この学校に通うには無理が
あるのではないかとか生徒が禁止されているアルバイトで新聞配達をしていたとか、生徒にとって不利な噂話などが展開されていきます。

 集められた保護者は、親子3代この学校に通っていて、現在同窓会長をやってる女性。夫婦で公立高校の教師であり、昇進試験に
合格し副校長に昇進が見込まれている男性。元警官で孫を心配してきた夫婦など、PTAという集団の中でもリーダー的存在の人たちを配置していました。

 生徒たちの担任はまだ教師になって3年目ぐらいの若い女性で我を無くしているため、学年主任のベテラン教師が学校側の見解を
保護者に説明する立場になっていました。初めは学校側も内部で収め様と考えていたようなのですが、生徒がアルバイト先の新聞販売店の
店長にも手紙を出していたことが分かったため、それもできなくなってしまいました。

 同窓会長は学校側に届いた手紙が無くなれば、もみ消せると手紙を焼いたり丸めて口の中に入れたりと抵抗してみせたりします。
しかしそれも学年主任の先生に止められたりして未遂になるのでした。

 他の保護者達も、子供たちの様子からいじめが行われていることに薄々気が付いているのですが、個別に子供達にアドバイスするだけで
いじめから自殺にまで追い込むことを止めさせるまでの力はありませんでした。

 この作品を見ながら、疑問に思ったことはいくら救急車を呼んだところで、不審死と判断されたら救急隊員から警察に連絡が
入って警官がやってきます。そうなれば学校側に届いた手紙も警察に提出することになるのではないでしょうか。新聞配達店の店長も
保護者達の前に現れて、生徒がどんな思いをしていたのかを激白するのですが、自分のところに届いた手紙を学年主任に渡していきます。
それを見てこれも警察に提出した方が正しいのではないかと気になりました。
 ラスト近くに亡くなった生徒の母親がやってきます。その時すでに喪服を着ていたのですが、こういう状況で亡くなったその夜に
すぐにお通夜という訳にもいかないだろうに、亡くなった生徒の母親であると観客に分かり易くするためなのかもしれませんが喪服を着てるのには違和感がありました。
 
 この重たい状況で逃げ場のない芝居を演じ続けておられる俳優さんたちの精神力、凄いなと思いました。特に同窓会長役の女優さんと高校教師役の俳優さん二人のセリフ量が膨大で芝居を引っ張っておられました。

 この作品を書かれた畑澤聖悟さんは現役の高校教師だそうで、だからこそあり得るやろなと納得させられました。 
私の評価・・・まあまあ

2月

題名・・・「パルレ〜洗濯〜」
作者・・・チュ・ミンジュ
上演台本・訳詩・・・保坂磨理子
演出・・・チュ・ミンジュ
共同演出・・・鈴木孝宏
劇団・・・ピュアマリー
主演・・・石川えりな
男性・とてもよかった=29%・よかった=48%・まあまあ=23%・よくなかった=0%
女性・とてもよかった=22%・よかった=56%・まあまあ=22%・よくなかった=0%

   田舎からソウルに出てきて5年、その間に8回転職したという歌から始まったミュージカル。
韓国で2005年からロングランしているのだそうです。それだけ韓国の若者に共感を呼んでいる作品なのでしょうか。

昨今の円安ウォン高で輸出にダメージを受け、中国の追い上げもあり、大卒者の4分の1しか財閥系企業に就職できず
強力な中小企業が少ないという報道を読んだことがあったので、今の若者たちははもっと厳しいんだろうなと思いながら
見ていました。

 いくら若いとはいえヒロイン・ナヨンは5年ぐらいの間に8回転職しそのたびに転居して貯金が無いという歌詞を聞いて、
日本で考えるならフリーターで職を転々としていると言うことになるのでしょうか。

 今度は大手の書店に就職することになり、長屋に引っ越してくる。
 書店の社長は社長だけに飽き足らず、議員もしている男。なんだか日本にもこんな中小企業の社長いるよなって感じで、
従業員に対しても雇ってやってやると言う態度で、自分の気に入らなければ辞めさせたり窓際に配置転換するのが平気なので、
従業員も社長の顔色ばかり窺っている。

 そんなストレスの溜まる職場から帰ってきて息抜きできるのは洗濯をすること、そして共同物干し場で洗濯物を干していると
ナヨンはすべてがクリアされていく気がしてくる。ある日、向かいの長屋で洗濯物を干している男性と知り合う。
その男性はモンゴルから兄弟たちを学校に行かせるために韓国に出稼ぎに来ていたソロンゴという若者だった。 
 ソロンゴは下請け工場で働いていた、そこにはフィリピンから来た若者などもいた。

 そのシーンを見ながら、韓国の下請け工場は中国の工場と価格で競争するために外国からの労働者を受け入れてるんだろうなと
思って見ていました。それでも経営が苦しいのかソロンゴたちは3か月も給料を払ってもらっておらず、何のために出稼ぎに
来ているんだろうと思いました。だからと言って別の職場を探す訳でもないのは、転職が難しい立場だということだったのでしょうか。

 大家のおばさんは口うるさく、特に家賃に関しては絶対に期日厳守。そしていつもシーツやおむつなどのかさばる物を
たらいで洗濯していた。というのもおばさんは長屋の一室に重度の障がいで寝たきりの娘を介護していた。亭主は浮気者だったので、
おばさんは喧嘩した腹いせに自分も浮気をした時にできたのがこの娘だという秘密があった。そしてそのことを知った息子は怒って、
家出していた。
 重度の障がい者に対して役人は本人がいるかどうか確認にくるぐらいで、全部おばさんが背負わなければならないので
お金に対して厳しくならざるを得ないのかと、それじゃぁ仕方ないよなと思いました。

 ナヨンが勤めている書店に仕入先の社長が怒鳴り込んでくる。この仕入先とは支払いを現金払いにすると決めていたのに、
社長が勝手に手形で支払いをしていた。それを経理担当で20年以上勤務していた女性社員が社長に注意したところ、
この社員は辞めさせられてしまう。それに腹を立てたナヨンは倉庫係に飛ばされる。

 仕事ではつらい思いをしていたのだが、ソロンゴとの恋がナヨンの気持ちを前向きにさせていく。
 大家のおばさんの息子がソウルに戻ってくることになり、ナヨンは引越しすることになる。大家のおばさんも息子と和解し、
生活は大変でも明るい希望が見えてくる。

 芝居の途中で出演者の三波豊和さんがナヨンとソロンゴはどうなりますか?と観客に聞いたところ、うまくいかないっていう
答えが返ってきました。私もうまく行かないと思ってたので、ちょっとびっくりしました。人生も半分以上を生きてきた
私の目から見ても、ロマンチックな気分だけに振り回されてるナヨンに地に足をつけて、ソロンゴを選んで大丈夫なのか
考え直した方がいいのではとアドバイスしたい気持ちになりました。
私の評価・・・まあまあ

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